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日本人の心は いずこに

 

 1953年、茨城県結城郡、付近の寺によって「切腹の家」に定められ何人もの武士が切腹に追いやられたその古民家にて、筆者は息もなく、死産として生まれた。しかし、神の憐れみは勝り、再び生きるようになった。この早い死の経験により、命の尊さと価値意識がより深く刻まれている。

 

1. 民主主義発祥の地スイスの両親をもつ身として少年時代を横浜市にて過ごし、道ばたの傷痍軍人の姿、それも、家庭の大黒柱であり国家のために健康と命を捧げた彼らが社会にも見捨てられ、のけ者となっていたその異様な姿に衝撃を受ける。

 

2. 日本に戻り、ヨーロッパ文化に根ざした教育理念の国際学校設立企画の責任者として長年、教育分野で尽力。教育現場の現状を直視し、1999年「父性の喪失」や道徳の崩壊を東京銀座の歩行者天国にて、担ぎ看板の形で何度も、何時間も訴える。

 

3. 2000年1月、若き妻を癌で亡くす。父子家庭として9人の子どもを育てる重い責任を感じ、数日間、四国の祖谷にて今後の進みと道を探す。その際、平家屋敷に案内され、一生の経験をする。紹介もない突然の訪問だったなか、平家の当主に原本としての赤旗を見せられ、同席の役場職員も大変驚く。筆者は揚羽蝶の家紋に深い感動を覚え、戦いの旗であったその赤旗に丁寧に描かれた二羽の蝶が互いを見つめている。恐怖や死、また猛々しさが中心ではなく、命と純粋な愛が全ての戦いの鍵であることを知る。「平家は敗れたが、源氏は滅びた。」がこだまする。筆者は「日本における任務はまだ終わってない。」との確信を得て、同年、帰化手続を開始。2年後、家族全員で日本国籍を取得。

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